2012年4月9日月曜日

空き地で不耕起栽培


2011年3月11日の福島第一原発の事故以来、本当に安全な食べ物について考えるようになった方は多いと思います。汚染されていない物を誰もが食べたいと思いながらも、それを許容する範囲も人それぞれ、対応も千差万別で何が正しいこと情報なのか?誰を信じたら良いのか?といった五里霧中で生きるような雰囲気を味わってしまっているのはきっと僕だけではないでしょう。また、家族や仲間のあいだに於いても、この懸念する度合いによって、差別まではいかなくとも偏見のまなざしで見られることを経験した人も、このブログを見ている方のなかには少なからず数名いらっしゃるのではないでしょうか。

僕は20代のほとんどを東京でバイトしながらDJをして過ごしてきました。その中で出会った人たちはとても「自由」でありテレビから垂れ流しにされる情報を鵜呑みにしない明確な意思を持った人たちとして僕の目には映りました。ただ、一般社会的には過激と見られることもあり、その考えや行動が日の目を浴び大衆に浸透していくことも少ないのが現状でもあると思います。

性格上、それが成功しようが失敗しようが、身を持って経験しないと納得できない性格の自分は2012年という節目も持って「自然」と対峙する道を選びました。それは日本人のルーツを考えたときに「神道」の存在があり、山や川といった実像のないものを崇めてきた自然信仰が今もなお、我々の生活および思考のなかに根強く残っていることに気づいたからです。この感性は誇るべきものであると思うし、このルーツを大事にした生き方が、これからこの汚染された大地を生き抜く知恵が隠されていると感じているのです。

先行きの不透明な経済の渦のなかを足掻いて生きるか、人間らしい生き方を純粋に追求するか、この二択の分岐点に置かれているのが今年のテーマなのだと思っています。その答えはすぐには出ないかもしれない…けれどもその「あがき」の経緯でさえも記録することによってアートに成し得るし、新しい哲学にだって成り得るのです。ズブの素人だから出来る体験談を、見てくれているみんなとシェアできたらなと思います。

写真は家のとなりの日当り抜群の空き地。
一年間かけて、ここで自給自足とまでいかなくとも野菜はじめ薬草その他を栽培し循環型生活ができるかどうかの実験圃場としたいと思います。

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